VICの窓から

2020年11月

天高く馬肥ゆる秋

 ふと見上げた秋の空。うろこ雲?ひつじ雲?さまざまな形の雲。秋の空の贈り物か。

 今年は気温が高い傾向が続いたせいか、山も例年と違い遅くまでキノコが出ているという。「山があたたかくて」という。
ナメコにムキタケ、大きなヒラタケは、バター炒めにしよう。

 クリタケはクリノキモダシとも呼んでいる。盛り上がった落ち葉の間に美しい赤味のある傘がわずかに見えて、見事に群生する姿を見つけたのだという。よく利用され親しまれているキノコは、雑(ぞう)キノコという。キノコをさっと茹でて塩蔵して保存する。
クリノキモダシ入りの雑煮が大好きだった人がいる。塩出しをして正月料理に使いたい。

街道の記憶

 奥州街道は盛岡を過ぎると高い山間を北上して、道幅も狭くなっていく。岩手町にある北上山御堂観音堂は、大同2年坂上田村麻呂が祈祷所として建立されたと伝わる。奥州三十三番中三十二番目の霊場である。

 境内には、北上川の源泉「弓弭の泉」(ゆはずのいずみ)がある。天喜5年(前九年の役の際)源義家が、弓弭をもって岩をうがつと水が湧き出た。この清水は北上川の源泉をなしているという。川の名の由来は、古代「ヒダ(蝦夷えみし)カ(場所)ミ(そのあたり)」蝦夷の住む場所「日高見国」を流れる川から転じて、北上川と呼ばれたともいわれている。

 「御堂(みどう)・馬羽松(まはまつ)一里塚」は、対をなして残っている。西側が岩手町「御堂塚」 東側が一戸町「馬羽松一里塚」
明治9年明治天皇東北御巡幸の際、村人を大動員して道路を改修拡幅した。急な坂道の両側に道路より高い場所にある。

 明治天皇の休息所になった屋敷と同じような造りの屋敷が、「旧朴舘家住宅」(きゅうほうのきだてけ)で、長方形の「直屋」(すごや)と呼ばれる建物だ。内部には、馬や牛を飼う広い「まや」もある。神楽公演が行われていた時には、「だいどこ」の大きな炉に鍋がかけられ、くしもちが皆に配られたのだった。

 街道沿いの集落では、周囲の環境を整えるなど保存活動を行っている。その取り組みは、地域づくりに繋がっているのだ。

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