冬晴れ
小春日和の穏やかな晴天にめぐまれた。南蔵王の山々が青空に輝く。
葉を落とした木々の間に、そこだけ花が咲いているように見える。マユミの実は、熟すと4つに裂けて、
中から赤色の仮種皮(かしゅひ)に包まれた種子が現れる。種子の表面をおおっている仮種皮には有毒な成分が含まれているそうだ。
それでも鳥たちにとっては、大変な栄養分となっていて、種子は遠くまで運ばれていく。赤い色は、冬を迎える鳥たちにもよく見える。
食べ頃を知らせる植物の巧みな知恵といえる。
大谷海岸
震災から10年、気仙沼市にある道の駅「大谷海岸」は、2021年3月リニューアルオープンした。
現在も目の前に砂浜の広がる海水浴場が見渡せる。約19mを超す津波が内陸まで押し寄せた被災地。
気仙沼では防潮堤の復旧が主となっていて、海岸毎に計画が策定された。
復興計画は、わずかに残った砂浜の上に9.8mの防潮堤の建設が挙げられた。地域住民は、時間をかけ勉強会や話し合いの場を何回ももうけて「砂浜を残したい」という思いを高め意見をまとめたのだという。海岸の砂浜の再生は地域住民の悲願であり、砂浜を残しつつ安全を守るという住民の総意が復興計画に反映され、当初の計画は変更された。国道をかさ上げし、その法面を避難が可能な構造の防潮堤にして、
元々の砂で砂浜を再生するなど防潮堤建設計画に住民の意見が汲み入れられた。地域それぞれの事情に基づいた復興事業は、
自然環境の保全も含め、住み続けられる街づくりが図られる。地域社会の持続可能性を高めることにつながっていく。
震災復興・遺構
波路上(はじかみ)地区の太平洋沖は岩礁が多く、昔から多くの犠牲者を出し、海難死者埋葬供養が地元の方々の奉仕で行われてきたそうだ。さらに明治29年の三陸地震津波犠牲者を埋葬したことで霊苑ができたのだという。また、海の殉難者慰霊塔が建てられた。昭和30年以降設置された防潮護岸も海岸防災林も大津波はすべてを飲み込んだ。現在、海岸線には防潮堤が整備された。工事中にも身元不明の骨が出土していたという。震災は、被災地の風景を大きく変えた。
東日本大震災遺構・伝承館では、津波で被災した気仙沼向洋高等学校の旧校舎を被災当時のまま保存している。震災を伝承する為、大津波の脅威を伝えている。あたりまえのようにそこにあった日常生活。あの日何が起きたのか。津波警報が鳴り続ける中、少しでも高い所へ安全な所へ避難することができたのだ。犠牲者は出ていない。
遺構は失われた「いのち」への追悼と鎮魂の思いと、復興の起点となって、その教訓を次世代に伝承する。