VICの窓から

2025年3月

亜炭

 石炭の一種で、褐炭といわれる亜炭は、全国各地に分布しているという。地下浅くにあって、地表に露出していることもあり、明治時代から採掘がされ、戦中戦後には、広く用いられてきた地下資源だ。明治5年(1872)操業の富岡製糸場では、蒸気エンジンを動かすための燃料として使用された。水分や不純物を多く含む為、エネルギー効率が悪く、燃やすと煙やにおいが出たという。木片の組織が観察される事も多い。炭化の度合いが低い亜炭ではあるが、品質に優劣があり、良質なものは、石炭と同じように黒々としてツヤがあったそうだ。

 山形県の主な炭田は、最上、村山、置賜にあって、最上炭田の中心となったのが舟形地区。大正前期から本格的に生産され昭和30年代にかけて経済発展に大きく貢献した。舟形駅から貨車積みされた亜炭は、主に工場ボイラー用・学校などの燃料として利用されたという。
舟形町歴史民俗資料館では、全国有数の生産量を誇った亜炭産業について展示している。

 亜炭は、明治の初めすでに発見され、露頭を露天堀りで採掘し、各農家では自家用燃料として利用していたという。木製の風呂桶の端に筒のようなものが備え付けられている鉄砲風呂には、長時間燃える亜炭が重宝された。また亜炭俵あみは、冬期間の農家の副収入となっていたという。足元から生活燃料亜炭が採れる町では、手に入れやすい生活必需品であり、なじみ深いものだった。

 1960年代以降燃料は石油エネルギー転換の時代となり、戦中戦後のエネルギー不足を支えてきた亜炭産地の衰退をもたらした。舟形町の亜炭産業も平成3年すべての鉱山が閉山して、残された廃坑の空洞被害に対して復旧事業が行われてきた。

 亜炭の産地で知られる宮城県。幕末から亜炭の採掘が行われていたという。産地の一つである三本木亜炭は良質で、1920年代開通した仙台鉄道で、仙台市内へ大量に輸送されたそうだ。1960年代前半頃まで、馬車屋と呼ばれる運送業者(農家で農閑期の副業)が馬に付けた荷馬車で売り歩いたという。三本木亜炭記念館には、オート三輪車や10tの亜炭塊、坑道の模型、資料などが展示されている。地中のエネルギー亜炭を掘り、運んで、送り届けた時代の人々の暮らしは遠い昔のぬくもりを教えてくれる。地下空洞により沈下・陥没などの復旧、坑内排水の浄化処理など、環境負荷の大きい亜炭ではあるが、土壌改良剤などに利用されている。

-VICの窓から