尻屋埼灯台
下北半島北東端 尻屋崎沖は津軽暖流と北からの親潮(寒流)の流れが交差し、豊かな漁場がつくられている。しかし、岩礁が多く潮の流れが複雑で、濃霧や強風に見舞われ、昔から航海上の難所として知られていたという。
江戸時代末期 外国船の定期航路の安全航行のため、外国人技師による航路標識灯台の設置が始まり、レンズを使用した西洋式の灯台建設は明治政府に引き継がれていった。
尻屋埼灯台は、英国人技師ブラントンが設計を指導し、東北地方初の洋式灯台として明治9年(1876)10月20日点灯開始した。当時 多額の資金を要する灯台設置場所の選定に、旧斗南藩の人々は、下北の発展と航行安全のために灯台設置を要望し、請願が認められたのだという。灯台はレンガ造で二重円筒構造。高さは約30m。建設地の立地条件(風、波、耐震、資材調達など)にあわせた設計がされた。レンガは函館から船で輸送されたものや、下北で旧斗南藩の人々が製造し建設に関わったという言い伝えがある。
建設後も、霧鐘から霧笛へ、電気を使用するアーク灯の設置など、近代灯台建設の始まりを伝える貴重な施設として、2022年(令和4)国の重要文化財に指定された。