雪解け水
飯豊山麓に春が来た。飯豊町中津川地区の雪解けも進む。白川ダム湖に大量の雪解け水が流れ込んでいる。
令和4年8月の大雨による災害復旧工事の影響だろうか濁った色だ。昭和42年羽越水害があり、昭和55年洪水への備えと、
灌漑用水の補給などを目的とした白川ダムが建設された。水没した集落、周辺のブナ原生林の大規模な伐採や、
ユキツバキの一部群落地も消失したのだという。白川ダム湖の向こうに白く雪に覆われた飯豊連峰は
大地をうるおす水源の山。また信仰の山として長い歴史をもっている。
多雪地域に自生する樹々は雪の圧力から幹をしなやかに曲げて雪解けとともに再び枝を起こす。
樹々の間は見通しがいい。豪雪の影響からか曲がった幹を多く伸ばしている。春の芽吹きが始まっている。
山々の雪解け水は大地をうるおす。生活や農業などの大切な水となる。
鳥海山風景
多くの風力発電の風車が立ち並び、風の音が響き渡っている。仁賀保高原南展望台。
今から約2500年前の東鳥海馬蹄形カルデラと呼ばれる山体崩壊の痕跡を見る事ができる。
この時の岩なだれは約60億トンともいわれている。現在のにかほ市方面に流れ、一帯に広く堆積した。
流れ山(大小の岩塊の小さな山)は、多数分布していて、象潟の「九十九島」の流れ山には、
それぞれ島名が記された。その後1804年象潟地震による地盤隆起によって陸に変わった。
鳥海山の雪解け水や伏流水は冷たく水温が低いため、取水源としていた鳥海山北麓地域では、
水稲の生育に支障をきたし、冷水害に悩まされてきた。水路幅を広く、水深を浅くして、
落差工を連続させ緩やかに流すことで、日照で水温を上昇させる温水路が考案された。
その効果は大きく稲作の増収がはかられた。
鳥海山には多量の雨や雪が降り注ぎ、山麓には伏流水が湧き出ている。
豊かな水は田をうるおし、生活に活かされている。豊かな自然と一体になった温水路のある風景には
鳥海山の火山活動によって形成された地形・自然環境に対応した地元の人々の知恵と努力があって、
傾斜地に広がる田の中に豊穣と感謝を願う田の神が祀られていた。