VICの窓から

2024年2月

蔵春閣

  新潟県新発田市(しばたし)出身の実業家 大倉喜八郎が明治45年(1912)東京向島に建設した別邸「蔵春閣」が、新発田市東公園に移築再生された。木造2階建て、かつての明治宮殿の建築様式を模した建物で、積雪を考慮し、構造強度を高める補強がされている。

 唐破風入母屋造りの大きな建物は、かつて隅田川沿いにあって、明治の政財界の重鎮や海外の要人などの接待に使われていた。天井や欄間襖など日本式の装飾で美術工芸品が使われている。1階の寄木造りの床 2階の大理石モザイクタイルの床 大広間の月見台には網干型のデザインの手すりなど、明治時代の実業家大倉喜八郎のこだわりを伝えている。

保存から未来へ

 大倉喜八郎が寄付した東公園内に、蒸気機関車が保存されている。「デゴイチ」の愛称で親しまれているD51形蒸気機関車。昭和11年(1936)から、主に貨物輸送のため1000両以上が製造され、全国に配備された。さまざまな形状があり、東公園にはD51512号車が静態保存されている。新潟・山形・秋田の3県を貫く羽越本線は輸送量が多い。長大編成の貨物列車を牽引して輸送力増強に貢献した。長工式除煙板(国鉄長野工場式のデフレクター)煙が車体に絡みつかないように、風の流れを制御する左右の板や、旋回窓(雨や雪などから視界を確保するための円形の装置)、昭和41年(1966)には重油併燃装置(石炭と共に重油を燃焼させる装置)を装備し、風雪の強い日本海縦貫線を豪快に走り続けたのだ。昭和15年(1940)新津機関区に配属され、32年間同一機関区で活躍した車両は塗装がされ大切に保存されている。

 大倉の故郷への産業振興貢献の1つに羽越鉄道開通の協力があげられている。3県を貫く羽越本線の建設は県ごとに進められ、県境をつないで大正13年(1924)全通し、今年100年を迎える。地元の歴史を物語る車輛の保存は、未来に活用されていくことだろう。

歴史を記憶に

 御柱が立つ諏訪神社は、新発田総鎮守。冬期間用と思われる滑り止めの厚いむしろが敷かれていた。今ではなかなか見られない昔の生活の知恵を再認識する。大倉喜八郎が大正5年(1916)寄進した石鳥居があり、しめ縄がかけられている。しめ縄は地域の人々が毎年田植えをし、刈ったもので製作、奉納しているそうだ。

 蒲原平野の潟の干拓や治水、新田開発など江戸時代から続く城下町は軍都としての歴史をもっている。歴史をしのばせる景観保存整備が行われていて、文化遺産を活用する取り組みも進められている。寺町通りでは、お寺を会場に企画交流が行われているという。家の玄関には無病息災を願う護り札をつけたしめ縄が飾られている。郷土料理「から寿司」は、酢飯の代わりにおからを使い、酢でしめたアジで包んだもので、おたね(麻の実)が入っている。

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