VICの窓から

2023年12月

階上灯台

 青森県三戸郡階上町(はしかみちょう)小舟渡(こみなと)廿一平(にじゅういちたい)に立つ階上灯台。階上岳を背にして芝生の先に雄大な太平洋を望む灯台のある風景が広がっている。沖合は、親潮(寒流)と黒潮(暖流)が交わり、さらに津軽海峡から津軽暖流が南下して豊かな漁場となっている。

 海と共に営まれてきたくらしがある。梅雨から夏にかけて吹く冷湿な風「やませ」によって海上は濃霧に覆われ、
出港できない日が続くこともあるそうだ。

「飢饉は海から来る」とも言われてきたように、「津波」や「やませ」が襲う。人の力では乗り越えられない海という自然の力。浜には、たくさんの祈りの場がある。階上灯台は県内でも一番早く朝日が昇る場所。
朝日に手を合わせて、今日の無事を祈る。

県境

  青森県階上町と岩手県九戸郡洋野町種市との間を流れる二十一川。江戸時代は、九戸郡のほとんどが八戸藩領であり、人々は深いかかわりを持ち続けてきた。川の南側種市角浜の汀線付近の二十一平遺跡は、古代、製塩を行った可能性と津波の影響も考えられるという。付近に、二十一軒の漁師たちの集落の話が言い伝えられ、物語として残されている。
県境を示す石は海にもある。「磯は地付き、沖は入り会い」という江戸時代からの慣習がある。現在は資源保護などで漁場が挟まり、さらに燃料高騰などの事情で、漁業を取り巻く環境は厳しくなっている。県境沖のタラ漁場(なべ漁場)の帰属をめぐる争いは、当事者の意向が尊重され合意に至った。歴史の展開を物語るように「堺」の石は海中にある。

千人塚供養塔

   北海道南部と東北北部にかけての地域は、縄文時代から古代にかけて共通の文化圏であったといわれる。そこに住んでいた人々は、平安時代、律令国家によって蝦夷(えみし)などと記され、呼ばれていた。服属・反乱を繰り返しながら、東北北部も律令国家の支配下に組み込まれていった。文字を知る(征服支配する側)人々によって記録は残された。えみし社会の共有する言葉は、今日のアイヌ語に近いものであったと考えれていて、東北北部の地名やマタギ言葉のなかに、えみし言語に由来するものが多く残されているという。
種市の名も「タンネエヅ」(長い岬・鼻)という説や、タナ(段上)イチ(険しい地形)から崖上の海岸段丘の意味などの説があるそうだ。角浜の海岸近くに蝦夷征討の首塚といわれる土盛りがある。千人塚供養塔が建ち、地元の方々によって祀られている。

 

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