VICの窓から

2023年4月

三陸 海の風景

 明治29年(1896)や昭和8年(1933)などの三陸沖地震では大規模な津波によって大きな被害が発生した。被災状況や対応、復興計画など津波災害を次世代に伝える記録が残されている。津波警戒として避難の心得も紹介されているという。平素から避難路を確認しておき、高い土地に避難する事が教訓として伝わっている。

南三陸町

 東日本大震災から12年 大災害の記憶や教訓を伝える震災伝承施設を拠点に町は復興へ歩み続けている。
迫る大津波に防災無線で「高台へ避難してください」と繰り返し呼びかけ続けられた南三陸町防災対策庁舎。
南三陸311メモリアルからは、赤い鉄骨だけを残す防災対策庁舎(震災遺構)・震災復興祈念公園や志津川湾が見える。

 歌津地区の伊里前川(いさとまえがわ)に、石を並べた仕掛けが造られている。
シロウオ漁はザワ漁と呼ばれる伝統漁法で行われる春の風物詩。伝統の技法に環境が戻ってきている事を感じる。
漁業を生業としている浜の集落の人々は、支えあって津波の災禍を幾度となく乗り越えてきた。
寄木浜を春の花々が彩る。豊かな海の幸に笑顔があった。

女川町

 震災遺構・旧女川交番 周りのパネルには被害状況などが記され、支えあい立ち上がってきた女川の人々の復興への歩みが紹介されている。「先人が築き上げてきた町並みと、海とともに紡いできた暮らし」とあり、貝廣(かいひろし)氏(東日本大震災で逝去)による震災前の町並みのスケッチが載せられている。

 高村光太郎文学碑が再建されている。中央の明治39年(1906)の短歌をはさんで、昭和6年(1931)三陸の旅の紀行文「三陸廻り」の一節と挿絵が刻まれている。明治29年の三陸地震津波から35年後、昭和8年三陸地震の前のことだった。
「女川湾は水が深くて海が静かだ。多くの漁船が争って此の足場のいい港へその獲物を水揚げする。三陸海岸では一番新らしい一番きれいな水上げ場だ。」港町女川の様子が書かれていることを知った貝氏が中心となって、地域の文化を育てようと、
平成3年(1991)「霧の中の決意」「よしきり鮫」など4基を女川海浜公園に建立したという。女川といえば鯨 鯨の竜田揚げの給食を懐かしいと思う人も多いことだろう。女川駅から海へまっすぐ伸びるレンガ道は避難道ともなっている。海とともに生きる人々の想いが新しい町づくりを目指している。

石巻市

 まちの活性化の為、マンガを活かしたまちづくりを策定した石巻市。宮城県出身の石ノ森章太郎の記念館「石ノ森萬画館」が、平成13年(2001)開館した。旧北上川の中洲に建てられたマンガの活動の拠点は、宇宙船をイメージした外観で、市内にはキャラクターたちの像などが設置されている。東日本大震災当時、避難生活を続ける子供たちに、マンガの力で勇気を与えられると信じ、イベントを開催するなど、復興を支えてきた。「石ノ森萬画館」は復興のシンボルとなった。マンガを活かして震災を伝え、災害に備えるようマンガの可能性を広げる様々な取り組みが続けられている。

-VICの窓から