年の瀬
三陸沖は、親潮(寒流)と黒潮(暖流)がぶつかるところで、豊かな漁場として知られる。魚介類が水揚げされ、コンブやワカメなどの海藻も豊富だ。年の瀬が近づき店先には頭を上にした新巻鮭がたくさんぶら下げられている。塩と風が旨味を引き出している。
命の道
三陸道
震災から10年、三陸沿岸道路(三陸道)が、12月18日全線開通した。沿岸と内陸を結ぶ復興支援道路も整備されている。
被災地の復興加速に期待が高まる。
三陸道は高い場所を通ったり、津波浸水域を避けるように設計された。さらに「命の道」として機能を発揮した国道45号や三陸道の部分開通区間などの教訓を踏まえ、道路上に避難するための津波避難階段が整備され、岩手県には、14か所設置されているそうだ。
復興道路は、三陸沿岸地域の暮らしを支え、命を守る役割をもつ。
田野畑村
鵜の巣断崖
北部陸中の田野畑村の海岸線は、隆起した大地が浸食された断崖絶壁が続く。陸中海岸自然遊歩道になっている海辺のみち。
浜の波打ち際の岩場に小さな隧道(トンネル)が見える。夏にはやませと呼ばれる海霧が冷涼な気候をもたらす。
沢に架かる橋
西側のなだらかな山地と丘陵は海岸に一気に落ち込む。海岸段丘を刻むいくつもの谷は海へ延びる。壁のような深い谷は人々の往来を拒んできた。あまりの悪路に思案させられた”思案坂”や職を投げ出してしまうほどの急こう配の”辞職坂”などの名称が物語る。
これらの難所には、現在、巨大なアーチ橋が架かる。思案坂には昭和40年谷底から105mの槇木沢橋(国道45号)が完成し、平成18年、更に高く谷底から115mの思案坂大橋(三陸道)が完成した。難所を克服、自然災害の教訓を継承し、地域の活性化につなげる道だ。
橋からは深い渓谷が見渡せる。
三閉伊一揆
険しい旧道は、昔、牛によって荷が運ばれたという。猿山地区の道筋の古碑群に牛馬供養塔がある。馬産地としては珍しく、下閉伊(しもへい)郡は、牛の飼育数が多かったそうだ。
やませによる冷害は凶作や飢饉をもたらした。耕地が少ない漁村では、海藻やアワビなどを織り交ぜて糧飯としたという。凶作に備えて、めのこ(コンブを細かく刻んだもの)は、いろりの上の梁に貯蔵した。薪の煙でいぶされる状態で乾燥し、100年経っても食べることができるという。
田野畑村民俗資料館の庭に三閉伊一揆の像がある。江戸時代 弘化・嘉永の2度にわたる百姓一揆。指導者切牛(佐々木)弥五兵衛(座っている)と、その意志を継いだ田野畑(畠山)太助。藩の増税に苦しむ村々をめぐり、全領一揆を説いて歩いた弥五兵衛。「小〇」(困る)の旗を揚げ、藩政改善を求めた太助の指揮のもとに民衆は総結集し、浜街道を南下 県境を越え、仙台藩に訴えた。一揆の成功を裏付ける安堵状が残されている。厳しい時に何が起きたのか。浜街道はさまざまな交流の歴史を今に伝えている。